生まれてから、親からの罵声を浴びてきました。小学生になると暴力も激しくなりました。

当時はとてもとても嫌だけど、それが当たり前なんだと受け入れていました。

たとえ親の趣味で犬を10匹買っていようとも、親の趣味でお金がなくなっていようとも、働いているのは親と姉なんだし、それが普通なんだと。

小学2年生の時、学校に行くと教員が年子の姉と兄と私を個室に案内してくれました。

個室には警察官が沢山いて、色々質問してきました。家に犬は何匹いるの。その世話は誰がやっているの。ご飯は食べているの。家事は誰がやっているの。と。

私達は当たり前のように答え、車に乗せられ、知らない所に連れていかれました。

当時は友達の家に遊びに来たんだと考えていたのでとても楽しみでしたが、知り合いが姉しかいませんでした。

姉から聞くと、ここは児童相談所だよと言われました。そこには2年いましたが、その頃は親と会いたくて面会の度に泣いていました。

そして小学生4年生になり、児童相談所を出て家に帰りました。最初の1ヶ月は泣くほど毎日が楽しかったです。

でもそれから、児童相談所に歳で行けなかった姉が母親から暴力を受けるようになりました。

家に帰ると必ず親が姉を殴っていたり、体を壊してから兄に暴力を振るわせたり。

それがあっていつもいつも家に帰りたくなく、登校時は幸せでも下校時は不幸せでした。

小学5年になり、ペット不可の家で犬を飼い始めるようになった親をみて、これは児童相談所行きかな?と思い始めました。

家に帰ると犬が1匹ずつ増えています。毎日毎日新しい犬が家に来ます。

それに暴力を振るわれていた姉が耐えきれず、家を出ました。

それからは新しい標的を探すために何かと欠点を親が探し始めました。

ある時、習字セットを洗っていた私を見て舌打ちをしだしました。

何か悪いことをしてしまっただろうかと思っていたら、目の前で習字セットを洗われたのが気に食わなかったそうです。

それから私が標的になり、姉ほどの暴力ではありませんが、ビンタ、頭を壁に叩きつける、はよくあるようになりました。

ごめんなさいと泣きながら謝ってももちろん許してくれません。

それが続き、小学6年生になった頃、反抗期に入り、母親に暴力を振るわれることにプライドが許さず、叩かれたら舌打ちをし、ババアはそういうことしかできねぇのか。と言い母親を突き飛ばしてしまいました。

それから兄や年子の姉を使って親が暴力を振るいだしました。

中学1年生の頃までそういうのが続き、自分の首を絞めるのが癖になった時、暴力を振るわれていた姉が家に帰ってきました。

理由は年子の姉が電話で泣いているのを聞いたかららしいです。

それから、家の状況をしり、帰ってきた姉はバイトを始め、今は働いてもいない親に上から話をできるようにし、暴力をなくすことまでにしてくれました。

それからは暴言吐いてくるくらいで、特に何かして来ることはありませんでしたが、反抗期を終えた中学2年生の時から家庭環境を察知したクラスメイトがいじめをするようになりました。

家に帰っても暴言吐かれて学校に行っても暴言を吐かれ、精神はボロボロでした。

学校もあまり行かなくなった親は学校でいじめられているということに気付き、たかだかいじめで不登校になる私を蔑みました。

年子の姉を可愛がり、私を生きる価値もない金食い虫と呼びました。

食費などが生きる価値もない私に持っていかれるのに腹が立ったらしく、姉のバイト中に暴力を振るうようになりました。

ですが、年子の姉も家庭環境でいじめられ、不登校になりました。

そして、年子の姉が人と触れるのを嫌がり通信制で高校に行きました。

ですが、それでも学校に行きたがらないため中退してきました。

それから年子の姉はバイトを始め、そのお金で親は犬をまた増やすようになりました。

私が中学三年生になった頃、40匹を超える犬がいました。

家庭環境だけでなく、犬の匂いで近所からも苦情が来るようになりました。

犬の世話はずっと家にいる母親しかできないのにそれもする気配はありませんでした。

学校から帰ってきた時、土日、私は犬にご飯とお水をあげ、親の機嫌を取りながら親のことを軽蔑していました。

そして私は進路の話が出てきて、とても焦りました。

学校もまともに行ってなかったため学力だってなければ出席日数も足りません。

仕事するしかないと思っていましたが、その学校には高校に行かせるということしかできませんでした。

なので、私立高校に行くことになりましたが、奨学金を受けてから私立高校に通っているのに家のご飯や家具がどんどん豪華になっていきました。

学校の先生は「学費払ってない人はこういうことはできませんが」と私の目を見ながら言ってきました。

夏休みに入り、宿題をしていると親からバイトしろと言われるようになりました。

ですが、私の高校は許可がなければしてはいけない校則でしたのでできませんと言いました。

それから夏休みが終わる頃になり学校から「除籍」の紙が来ました。

それからいつの間にか除籍というような形になり、奨学金はどこへ行ったのだろうと思いました。

そしてそれを年子の姉に聞いたところ、親が自分の物に使っていたと言われ、元々狂っていた私の頭がもっと狂い出すようになりました。(これは最近気づいたことですが。)

それから私は年子の姉と同じバイトを始めました。

最初の頃は全然良かったのですが、どんどんどんどん人が変わっていき、私の犬の匂いでクレームが来たと言うデマ情報を流され、軽いいじめにあいました。

ですが、年子の姉とは違い、元々ボロクソ言われなれてる私はそんな事を気にせず働いていました。

その1か月後に新しい社員が私のいじめに加担し私のいる日数を減らしたり、早上がりにしたりするようになりました。

お金は稼げない、働けもしない、お前の生きている価値はなんだと言われ始め、私は新しい仕事を探していました。

そんな中、年子の姉も臭いと言われ始め、それを親に話したら私のせいだとなりました。

ここからは昨日から今日の話ですが、私の好きな事、好きなものを壊すことに集中しだした親は私の部屋(とても広くてありがたいのですが、紙カーテン、暖房等無しの布団1枚生活で、少し寒いです。ないよりかはマシですが。)に貼ってあったポスターを破りだしました。

ただ、私は悲しかっただけで反抗などは我慢しました。

ただ、色々なことがありすぎて我慢がしきれず涙を我慢できませんでした。

姉に相談するために姉の部屋にいたら親はブチギレて姉の部屋にほうきを持って入って私を目掛けて殴ってくるようでした。

怒りと悲しみが爆発して、もう我慢出来ないと言い親の首を絞めました。

自分がすごく狂っていて、自分が死んだ方がいいことも知っていますが、あの人に殺されるのだけは私のプライドが許せなかったので、馬鹿な私は首を絞め引っ掻いてくる親の肩を殴りました。

それから色々している最中に私が殴られてるところはどうでもいいと考えてる家族が全員して私の首を絞めたり殴るようになりました。

兄は本気で私の首を絞め、意識を失いかけたところで私を殴ってくるあの人の姿を見た瞬間、許せなくなって、この人は本当に自分の親なのかどうかと疑問に思いながらとりあえずあの人のお腹に蹴りを入れました。

あの人が殺してやる!!!!と叫んで包丁をとってこいと兄に指図し首を締めていた手が向に言った瞬間、めまいがするまま母親のところへ向かい殴りかかろうとした時兄が包丁を投げてきて、

あの人が包丁を手にした時にその包丁を奪い取りそのまま刺し殺そうとした時姉が包丁を持っている私の手を叩きその時は殺さず殺されずの感じになりましたが、

夜中の3時になった時また兄が突然私の首を締めたままあの人の前に引きずってこられ、それを見ていた年子の姉が号泣しながらなんでお前生きてんだよ。と私に言ってきました。

それでも私は心から信頼している人に殺されたいと思っていたので抵抗しました。

そのまま私は行き場がないので児童相談所に頼ろうとしましたが、年子の姉は自分の仕事場が好きなため遠くに行きたい私のせいでとこかに行ったらメンタルの弱い姉は自殺でもするんじゃないかと思い簡単に手が出せません。

こういうのはどうすればいいのでしょう。私が死ねばいい話なのでしょうか。